大変な時代になった。
よく「戦時と同じ」などといわれるこのコロナ禍。
こんなときに大活躍するのはいわゆる「理系」の方々で、我々「文系」、特に語学と無関係の人間は、本当に役に立たない。
びっくりするほど役立たず。
歴史家なんてものも、有事ではさっぱり。
歴史家が役に立つのは全てが終わってから。まとめ、記録として残したことを伝えていくのみ。
その残した記録が役に立つのかどうかは、後世の人たちによる。
(シュレッダーされたら泣くね…)
そ こ で ! !
STAY HOMEを実行する、多くの優しい人たちに、暇つぶしコンテンツを提供する程度のことはできるのではと思い立ち、今年の大河ドラマ『麒麟がくる』から、「濃姫」のお話を少し。
名前の謎〜帰蝶?胡蝶?濃姫?
大河ドラマでは、放送開始前から大騒動があったこの役。
女優の川口春奈さんが演じ、ドラマ内では「帰蝶」と呼ばれている。
実はこの帰蝶、本当の名前は不明である。
彼女の名前に言及した史料はほぼないといっても過言ではない。
『絵本太閤記』や『武将感状記』などでは「濃姫」とされている。
これは「美濃」から嫁いできた「姫」ということで「美濃姫」=「濃姫」となったといわれる。
またこのほか『美濃国諸国記』では「帰蝶」、『武功夜話』では「胡蝶」など、とにかく書かれるもので名前が違う。
逆に考えると、なぜここまであちこちに書かれているのに名前がわからないのか。
それは、名前が書かれているものすべて、史料として、書かれた年代が戦国時代から時間が経ってしまっていたり、公式の記録ではなかったりと、信憑性に欠けるからである。
当時の女性で、本名がわからないというのは珍しくないのだが、非常に書きづらくまた、話しづらいので、今回は「濃姫」で統一したい。
(濃姫の父親も、「道三」で統一する)
濃姫の家族
美濃国(現在の岐阜県)の国主・斎藤利政(のちの道三)と小見の方の娘として生まれた濃姫。
母親の小見の方は、「明智氏」の出身であり、今年の大河ドラマの主人公・明智光秀は小見の方にとって甥っ子、つまり濃姫にとっては従兄弟だったともいわれている。<この関係には諸説ある>
濃姫は、初め土岐頼純に嫁ぎ、頼純亡き後、織田信長に嫁いだといわれている。
母は違うが、兄に斎藤義龍がおり、ほかにも兄弟姉妹がいる。
濃姫の生涯
天文4年(1535)に生まれたといわれる。
生年に関して書かれた書物は『美濃国諸国記』のみであり、『美濃国諸国記』の信憑性は上記でも述べたように、今一つということもあり、この記述が正確なものなのかどうかは不明のまま。
※「信憑性に欠ける」と連呼して申し訳ないが、これは「嘘ばかり」ということではなく、「どれが本当のことなのかわからない。真実もあるかもしれないし、創作もあるかもしれない」という状態で、真偽不明ということである。もちろん新史料が出てくれば変わる。求む、新史料。
美濃国(現・岐阜県)は、越前国(現・福井県)の朝倉氏、尾張国(現・愛知県)の織田氏などから常に狙われ続け、幾度となく侵攻されていた。
道三はまず、朝倉氏との和睦を画策。
朝倉氏からの「土岐頼芸の守護退任」という条件をのむこととなる。
(この関係性は、後日整理したいところ…。ややこしい…。)
天文15年(1546)、当時の美濃国守護・土岐頼芸を約束通り追放し、実質的に美濃の支配者となった道三は、朝倉氏との和睦の証として、頼芸退任後に美濃国守護となった、頼芸の甥・土岐頼純に濃姫を嫁がせたといわれる。
天文16年(1547)頼純が24歳で急死。濃姫は斎藤家に戻ってくることとなる。
濃姫が天文4年に生まれていたとすると、12、13歳の出来事となる。
ドラマ内で、頼純は毒殺されていたが(伊●衛門茶事件)、史料がないため確証はなく、表向きは病死とされている。
和睦の証として、未亡人となっていた濃姫を、今度は織田信長のもとに嫁がせる。
太田牛一の『信長公記』には、このときの婚礼について、たった一行だけ記述がある。
「平手中務才覚にて、織田三郎信長を斎藤山城道三聟に取り結び、道三が息女尾州へ呼び取り候ひき」
(平手政秀の働きで、信長を道三の婿とする縁組が決まり、道三の娘を尾張に迎えた)
このことから、織田家重臣であり、信長の傅役であった平手政秀が働きかけ縁組が進んだことがうかがえる。
当時の織田家は、嫡男である信長の奇行が目立ち、織田家の将来を心配する家臣が少なからずいた。
信長と濃姫の縁組は、織田家と和睦したい道三と、道三を後ろ盾につけ、信長の足場固めをしたいと考えていた平手政秀両者の思惑が一致して取り決められたのだろう。
天文18年(1549)、めでたく信長と濃姫が結婚。
信長16歳、濃姫15歳。
ただし、土岐頼純に嫁いだ女性と、織田信長に嫁いだ女性が、同一人物であったかどうかは定かではない。
こんなに長々と書いてきて梯子を外すようで申し訳ないが、名前がわからないということが非常にネックになっている。
夢枕獏先生の小説『陰陽師』の中で、安倍晴明がよく口にする言葉がある。
「名とは、親が子にかける最初の「呪」である」
家の名前
性別
これだけでは個人が特定できないのだ。
人は名前をもらって初めて個人だと認識される。
「△△家の娘さんの、〇〇さん」というふうに。
表舞台に名前が出てこない彼女たちは、戦国の乱世をどのようにして生き抜いていったのだろうか。
今日のまとめと今後の目標
信長との結婚の後、「濃姫」は歴史の表舞台からほぼ完全に姿を消す。
というより、「〇〇と結婚した」という時くらいしか、表舞台に姿を表していないというのが実情である。
これは、土岐頼純ともだが、織田信長との間に子どもを授からなかったということも大きな要因だろう。
もともと歴史上で女性の名前が残ることが少ないので致し方ない部分もある。
しかし、天下取りまであと一歩というところまでいった、時代の寵児である武将の正室として、亡くなった時期も場所も、戒名すら正確にはわからないというのは解せない話である。
長くなってしまったので、今日は一旦店じまい。
明日以降、織田家に直接的に関わる史料には出てこない濃姫を追ってみたいと思う。
お題「#おうち時間」