2015.3.11(水)4年

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あの日から4年経ちました。

あの日、みなさんはどう過ごされていましたか。
私は家にいました。

当時、舞台関係のお仕事をさせていただいていて、たまたま休演日だったんです。

自分の部屋でのんびり本を読んでいたら小さく長い揺れを感じ、その後立っていられないほどの強い揺れを感じました。
揺れが強くなる直前に玄関を開けに行き、揺れのせいで中ドアが閉まってしまい、その向こうの部屋にいる父がどうなっているのかまったくわからず、揺れている間ものすごい恐怖を感じたことを鮮明に覚えています。

私たちが生まれたこの国は、火山国であり、島国でもあります。
火山がたくさんあれば地震も多くなるし、島国であればその揺れの後に大きな波が襲ってくる確率は世界のありとあらゆる国の中でも高い国にあたると思います。



揺れが収まってから急いでテレビをつけて見たあの光景は生涯忘れることはないでしょう。
その中に友人の家族がいたことも決して忘れません。

友人は体育館で見た光景・臭いは死ぬまで忘れないと言っていました。

体育館に並べられたたくさんの棺。
腐敗と泥の臭い。
小さい頃から仲良くしていた人たちの亡骸。

どれも絶対に忘れないと。



どんなにつらいことがあっても、生きている限り進み続けなければなりません。
つらい記憶を抱えて進むことは苦しいことです。

ただ、経験していない私たちがまったく同じ気持ちを共有することはできません。
だからこそ、考え、想像し、生きていきたいと思います。
想像する気持ちが寄り添うことにつながると思っています。

そして、生きている限り記憶し続けていきたいと思います。


あの日。
この国は1つになりました。

少しずつでいいので進んでいきましょう。
立ち止まりたかったら遠慮なく立ち止まって。
一緒に立ち止まりますから。
時間がかかっても、前より安全な町を作っていきましょう。
自分たちの子孫が自分たちと同じようなつらい思いをしないで済むように。



東京にいて、普通に生活している私にとって、被災地が復興していくためにできることは限られています。
私の仕事は特別被災地のためになったりする仕事ではありません。
でも、そんな私でも微力ながらできることはあります。
そして、着々と実行に移していたりします。



大丈夫。
この国ならできます。
政治家のおじさんおばさんたちではどうせ何もできないんですから。

前よりずっといい町を、国を自分たちの力でつくってやりましょう。




すべての人たちが笑顔でいられる時間がほんの少しでも長くなりますように。