2015.1.9(金)表現の自由って結局なによ。

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アメリカの同時多発テロの時私は高校生で、あの映像を生中継でみていました。
そして、修学旅行中止という憂き目に遭いました。

それから14年。

パンドラの箱が開けられてしまったかのような最悪の事態が世界中で起きています。


フランスで起きた事件。
ある風刺画が発端になったのではないかといわれています。

表現の自由は保障されてしかるべきものですし、今回の報復のようなことがあっては絶対にならないこと、亡くなられた方には何も非がないことを前提に。


日本でも昨今「表現の自由!」と声高に主張されますが、表現の自由ってどこまで許されるんでしょうか。
素朴な疑問です。

例えば、日本で原発事故が起きた際、フランスのテレビ局(だったっけ?)が某サッカー選手の活躍にかこつけてあまり品のよろしくないコラージュを発表しましたよね。
そして大抗議を受けました。

フランスは結構キツいブラックジョークを好むお国柄だと思っています。
あれも表現の自由っちゃあ自由ですよね。
もちろん、日本人として非常に不愉快ですよ。
抗議されて当然だと思っています。

では、今回の風刺画は?
作成した人たちは表現の自由!といいます。
宗教にタブーを作らないというのが信条の出版社だそうです。

でもタブーを作らない=小馬鹿にするっていうのはありなんですかね。
個人的にはあの風刺画は特定の宗教を信仰する特定の人々を小馬鹿にしていると思うんです。

非常に暴力的で、非人道的な行動を起こす宗教の名を借りた人々だとは思いますが、それを信仰をしている人たちもいます。
その人たちを侮辱していることにはならないんでしょうか。

表現の自由の名の下には特定の人たちを侮辱しても許されるのでしょうか。


特定の人たちを侮辱するといえば、彼の国の将軍様を登場させた映画が一時話題になりました。
あれはサイバー攻撃を逆手に取った配給会社のマーケティング勝ちでしたね。

比較対象としてチャップリンの『独裁者』がよく挙げられていましたが、足元にも及ばない。ほんとやめて。

あの将軍様映画の品のないところは捻りが全くないこと。

パロディーにするなら「みんなわかってるとは思うけど、絶対に本人ではないからね!」と言い張れる程度に名前や国名等を変えることをしないと、ただのドキュメンタリー映画ですよね。
ドキュメンタリーにしてはチープ。
そもそもフィクションなのでドキュメンタリーにもならない。

あれは、将軍様はもちろん、あの将軍様を盲目的に崇拝している国民全てをバカにしているとしか思えない。
実際バカにしているんでしょう。
国民全体をバカにするって、どれだけ偉い立場なんでしょう。

『独裁者』はチャップリン演じるあれが誰なのか、誰もがわかるけど全てパロディー。
有名な政党のマークはバツ印2つに変えられています。
でもその中に強烈なメッセージが含まれている、だから多くの人が感動するし、意味があるんだと思うんです。

それと今回の映画が比較されるとか、普段映画を見ていない人たちが発言しているとしか思えません。

特定の国が別の特定の国をバカにし続ける。
バカにされた方はいい気はしませんよね。
日本のように優しい国ならばきちんと手順通りに抗議をしてくれますが、そうじゃない国もありますよね。
暴力に訴えればいいと出る人たちもいるでしょう。
もちろん、そのことは大大大問題なんですけど、それを誘発するようなことを平気でやってますよね、私たち。

暴力的な抗議が嫌だから黙るというのは絶対に違うと思います。
ダメなところはダメと言い続けることは必要です。
でもその方法って、表現の自由の旗印の下に誰かや何かを揶揄することなんでしょうか。

自分がやられていやなことは相手にもやらない。
子供の頃に教わることですよね。
例えどんな宗教であっても、民族であっても、相手に一定の理解を示した上でダメな部分を根気強く指摘していくしかないんだと思うんです。

…それって途方もなく長い時間がかかるのかも。

相手が暴力的だからといって自分も暴力的になっていってしまったら泥沼ですよね。
暴力に訴えるというのは大人の人間としてとても低レベルです。
相手の低い位置に自分を落とすの?


このパンドラの箱の最後に希望は残るんですかね。