翌日はホテルでの朝ご飯から始まりました。
ホテルの決め手は、この朝ご飯でした。
もともと、旅行先のホテルは素泊まりが多かったのですが、以前奈良に行った際に宿泊したJR奈良駅直通のスーパーホテルLOHASの朝ご飯で茶粥が出てきたのに感動しまして…朝ご飯で地元のものが食べられるホテルをチョイスしました。
今回のホテルでいただけたのは『こづゆ』。
会津郷土料理です。
写真は撮りそびれましたね。。。
寝ぼけてたから。
具材は人参、こんにゃく、里芋、干し貝柱と豆麩!
この豆麩がたまらなく美味しかったです。
友人と2人で2食分くらいの朝ご飯をいただき、朝から満腹。。。
そして、鶴ヶ城へ。
ホテルから歩いてすぐでした。
朝のお城は美しい◎
城内の展示も見学しました。
一言で言ってしまうと、いまいち。(ごめん!)
昔(14年前に来たとき)の方が良かったです。
伝わってくるものがあまりにもないというか…入ってすぐお土産物屋さんっていうのがどうなんだろうと。
そして出口のところでひっそりと無人の署名活動が行われていました。
初代藩主・保科正之公を大河ドラマに!…って。
地味すぎます…(笑)
正直、今年の方も地味と言えば地味ですが、もっと地味。
難しいんじゃないかな、大河は。
お土産類は鶴ヶ城会館で調達しました。
↑入り口にいた、でかあかべぇ。
あかべぇは会津のマスコット…でいいんですよね、K野さん?
大河にあわせて「やえたん」というゆるくもなんともないキャラクターが全面に押し出されていましたが、あかべぇの一本化の方が良かった気が…。
↑やえたん。行きのあいづライナーにいました。
「やえたん」って…”たん”ってネットスラングの”たん”ですよね?
大きいお友達対象なんですかね?
大きいお友達は大河とか興味ないんじゃないですかね。
小さいお友達にはもっとかわいらしいキャラの方が受けがいいと思うんですよね。
というか、小さいお友達も大河には興味ないと思うんですよね。
一 体 誰 対 象 な ん で す か
ままどぉるの売り場が追いやられていたのがとても切なかったです。
今年の大河ドラマ『八重の桜』の話を少しすると、虫食い状態ですが、とりあえず見ています。
会津戦争終わるまではみようかと。
明治以降には微塵も興味がないので。。。
突っ込みどころはたくさんあります。
”ドラマ”ですので、脚色は当然だと思っています。
ただ、個人的な考えではありますが、史実の部分をドラマで塗り替えてしまうのは好ましくないと思っています。
歴史には曖昧な部分が多々ありますので、そこをどう解釈しようが、脚色しようが自由だと思っていますよ。
新撰組が好きだという話をすると、漫画やゲームの話を嬉々としてされることがまぁまぁあるのですが、正直苦笑いしかできないんですよね。
せっかく興味を持っているのだから、歴史家の端くれとして、その興味をつぶしてはいけないと強く思っているのですが、その「新撰組が好き!」という気持ちが、「史実を知りたい!」という気持ちに向いてくれればもっといいのになと思います。
がんばれ、歴女たち。
ぜひ”本物の”歴女になってください。
それにしても、八重の桜の時代考証はひどいね。
大御所が2人もついてるのに。。。
話を元に戻すと、2日目は帰る日だったので、逆算して正午くらいに会津若松を発つ予定でした。
前日雪で近藤先生へのご挨拶を断念してしまったので、なんとか斉藤先生にはご挨拶を…!
ということで、阿弥陀寺へ。
そして、斉藤先生にご挨拶。
墓前が汚すぎるのですが、手前にチェーンがされているので、お掃除はできませんでした…。
なんとかしてください、阿弥陀寺さん。
斉藤先生は改名が多いのですが、最終的には「藤田五郎」と名乗っていました。
なので、藤田家のお墓です。
↑墓誌も撮影させてもらったのですが、一番最初が「藤田五郎」になってますよ。
次に書いてあるのは奥さんの時尾さんです。
阿弥陀寺は会津戦争で焼失してしまったので、形が残っていた鶴ヶ城の御三階という建物を移築して、しばらく本堂としていたそうです。
↑コレです。
葵の御紋が入っています。
阿弥陀寺を後にして、近くの七日町駅から会津若松まで1駅電車を乗り、帰路に。
七日町のショップとか、カフェとか、かなりしゃれおつだったのですが、見る時間が全くなく。。。
正味1日も滞在しないという超強行軍の旅行は終了しました。
帰りも強風で電車が止まりまくり、予定より3時間近く遅れて帰宅しました。。。
私1人ならいいんですけど、一緒にいった友人に申し訳なかったです。
もっとゆっくり滞在したかったなぁ。。。
今年中にまた行きたいですね。
雪のない時期に(笑)
今回の教訓は、会津若松市内を回るなら、バスより自転車です!